牧師からメッセージ初めての方へ
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■原田 昌樹(はらだ まさき) 私の恥ずかしい過去も、すべて包み隠さず書きました。今、悩んでいるあなたに届きますように |
親愛なるあなたへ〜「絶望から希望への出会い」〜
当教会の始まりは、1991年に私が小豆島において母教会の主任牧師である高田牧師から北九州での伝道活動を勧められたことに始ります。
私は神様にはっきりと祈って申し上げました。
「神様、私には母と計画した家業の再建計画、従業員増員、ビルの拡張工事という3つの夢があります。だから伝道師にはなれません。」

▲電気工事職時代の私
そう祈って数か月後に母が末期がんと診断され、半年後に召天。
召天後、家業は予想をはるかに超えた借金が判明し従業員を増員どころか全員転職。
ビルは倒産、私は破産宣告を受け、途方にくれました。
伝道師になれない理由としてあげた3つのものがすべて失われたからです。母も従業員もビルも。わずか2年で・・
しかし、神様はこの状況に耐えられるよう一つの計画を立ててくださっていました。
それは愛する妻との結婚でした。
母が救急車で福岡市にある栄光病院のホスピス病棟に搬送されている時、私は高田牧師に祈りの要請をするため電話をしました。その電話の中で高田牧師から私に妻が結婚の承諾をしてくれたと告げられました。そして病院から電話があった時、母に直接結婚が決まったことを報告することができたのです。母は私に精一杯の声で「おめでとう」と言ってくれました。そして翌日母は召天しました。
破産宣告のあと、借金取りが連日のように家に来て、神様を見上げたとき神様の声が聞こえたような気がしました。
「息子よ。これで私の働きができますか。私はあなたを選んでいる。私に従いなさい!」
神様に降参し伝道者となってから、神様は何年もかかって私の自我を砕き、私の生きるべき道を忍耐強く示されたように思います。そしてその愛を多くの人々に伝えたい一心で都心の駅前に立ち「キリストにあってやり直せない人生はない!」と道行く人々に語りました。

▲夜回り活動をしていた頃の私
そうしたら、ひとり、またひとりと社会的ハンディを背負った人々に主は出会わせ、彼らはキリストにあって新しい人生をスタートし、彼らから私は隣人愛を学びました。
大阪にある母教会が立派な教会堂なので、私も同じような立派な教会堂を建ててたくさんの人々に集ってもらいたいと当初願いましたが、神様が示された教会堂は『恵みの家』と命名した古い一軒家でした。
隣にある私の自宅を囲んで9軒の住居をお借りし、自立支援活動や地域の子ども会などに活用しました。
主は私にしかできない、いやこの教会にしかできない使命を与えておられると今はわかります。

▼私が運営するフードバンク北九州ライフアゲインがオリジナルTシャツをデザインしてチャリティ販売をするJAMMINと連携した際にインタビューを受けたページです。こちらもお目通しください。



